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みなさん、こんにちわー(^^)
暖かくなったり、寒くなったりで体調管理が難しくなって、
風邪などひいていませんか?
しかも、週末に限って雨が降ったりとか、
さえない天気が続いていますね( 一一)
少しづつ、春が近づいて来てるんだなぁ~と感じています。
そして、プロ野球のキャンプも中盤、
メジャーのキャンプもそろそろ、キャンプイン!!
野球の時期がスタートしますね(^^)
この時期になると、前の年とどう変わったのか?
などが、よく取り上げられますよね!!
それで、あーだ、こーだ、と、
話している姿を見ると、
「毎年、変化して当たり前じゃん」
なーって、思ってしまうことがあるんですが、、、
そんな事を思いながら、
ある監督の事を思い出しました。
それは、前横浜ベースターズの監督。
『 中畑 清 』さんです。
中畑清前監督は、
妻である中畑仁美さんを「がん」で亡くされています。
その時のエピソードが素敵で、
心に残っていたので、ちょっとご紹介しようと思います。
【 中畑清 】
記録より記憶に残る選手でした。
出身地:福島県
生年月日:1954年1月6日
選手情報
身長・体重:185 cm/90 kg
投球・打席:右投右打
ポジション:一塁手・三塁手
プロ入り: 1975年ドラフト3位
初出場:1977年7月17日
最終出場:1989年10月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
駒沢大学→読売ジャイアンツ (1976 – 1989)
監督・コーチ歴
ゴールデングラブ賞:7回(一塁手部門、1982年 – 1988年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1983年)
人柄のイメージとして、
『元気印』
の、イメージが強く、プレースタイルもイメージ通りの選手でした。
引退後も、解説者・監督としても、そのままのイメージでした。
【最愛の妻の死】
死因は、「子宮頸がん」でした。
あの、いつも明るい中畑清監督でもやはり奥様の死というのは、はかりしれない辛さがあると思います。
僕も、身内の死に直面した時は大変でした。
告知からわずか10ヶ月後のことだったそうです。
一度は手術で摘出したそうですが、
転移が見つかり30回近い放射線治療を受けるなど、苦しい闘病生活が続いたそうです。
抗がん剤治療も行ったそうですが、すでに他の臓器にもがんが転移していて、
手の施しようがない状態だったそうです。
そんな闘病生活の最後に、
中畑清さんは耳元で語りかけた。
「かあちゃん、愛してるよ」
すると、前日には発することができなかった言葉が、
中畑仁美さんの口から出ました。
「あ・い・し・て・る」
それが最後の会話になったそうです。
ドラマみたいな話ですが、
色々な思いが積み重なって出た言葉なんだと思います。
【 子宮頸癌 】
改めてこの病気の恐ろしさを感じました。
今回は、「子宮頸がん」という病気についても少し触れたいと思います。
この「子宮頸がん」は、
多くの女性がこの病魔にかかっているのが事実です。
特徴として、
大きな症状が無いから、どうしても異変に気付かず放置してしまう。
それが婦人科の怖いところらしいです。
子宮頸がんは予防もできるし、がんになる手前での早期発見もしやす病気だそうです。
でも、検査も行かずに、ほっとけば治ると思って放置していると、
大事な大事な子宮を摘出することにもなるそうです。
だからこそ、絶対に検診を怠らないで欲しいです。
取り返しのつかないことになる前に。
【 最後に 】
僕の周りの人も子宮頸がんを発病したり、
婦人科系の病気にかかったりしている人を、見て来ましたが、
やはり、早めの対応が大事!
ちゃんと定期的な受診をすることが大事らしいです。
最近は、若い方で発病される人が多いらしいので、
少しでも不安があれば、産婦人科を受診されることをオススメします。
最後まで、読んで頂きありがとうございました。
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